平和とは…?
おはようございます、
キキです(〃⌒ー⌒〃)ゞ
6日の夜、
小学一年の娘に、初めて、
面と向かって、
原爆の話を、した。。。
キキは311の原発事故にて、
関東から関西へ家族で自主避難したのだが、
それまではずっと、世田谷に住んでいた。
緑多き、精神性豊かな土地が、大好きだった♪
ある日世田谷で、オーガニック祭りなる、
食べ物や雑貨のイベントが開かれ、
家族で出掛けた。
色んなブースを楽しみながら回って行ったが、
ある一画だけ、陰だった…
行きたくなかった↓
「世田谷・被爆者の声を記録する会」
の、写真の展示ブースだった。。
行きたくなかったのに、
幼い娘がヨチヨチで行ってしまい…
すると被爆者の会の皆さんが気さくに、
娘にかまってくださった。
『どうぞ見ていってください!!』
『はぁ…』(キキ)
嫌だなぁと思いつつ、
大きな白黒写真を見て歩いた。。
言葉を失った…
見て、良かった。。。
アメリカ人研究者に、被爆した裸をさらす少女…陰部も見させられたと、文にはあった…
炭となった、母子とみられる写真…
生き残るも、身体からうじが湧く少年…
背中中が大火傷の、年頃の少女…
国のトップ同士が勝手に決めた戦争という名目で、
勝手に巻き込まれた、罪なき市民。。
結局、いつだって、底辺の市民が、痛手を被るのだ。
言葉を失う私に、
会の代表の三宅さん、
お年のおじいちゃん、
『生き残らされた責任です。
責任を感じ、こんな年になっても、
妻と孫との時間を割いてでも、この活動を、
しています。
友は死に、知り合いも死んだ中で、私だけが、生き残らされた…
その責任を、果たすため、なのです…』
三宅さんは、広島で、当時中学生。
たまたま、広島市内行きの電車を、
逆に市外へ行く方へ、乗り間違えた事が幸いし、
生き残った…
『生き残らされた責任。』
その言葉から察する、想いは、あまりに、重い。。
“生きる”こと。
死んだ者の分まで生き抜くこと。
死んだ者に恥じない生き方をすること。
キキは、会の皆さんが書かれた本を購入し、
折り鶴のデザインの、
バッジを購入。
赤い、小さな、ピンバッジ★☆
春秋によく被る、ベレー帽に、つけている♪
三宅さんの言葉は頭から消えたことがない。
私は戦争を知らない世代だが、
日本人として、
日本人に生まれた、責任が、ある。
知らない、では、済まされない歴史を、知らねばならない、責任が。
知らないから、聞き、
訊き、語り継ぐ。
いのちの責任。
与えられたいのち、大事に、生きよう?
責任、果たしてる?
絶対、治そうね!